こまくさ草子 〜院長ブログ〜

2015年12月21日

いよいよ今年も10日を残すばかりとなりました

忘年会、年賀状書き、大掃除と毎年のルーティンをこなして行き、年が押しつまるにつれ盛り上がってきて

大晦日のちょっと恥ずかしいような夜に大団円を迎えるという訳です

そして今年もあっという間だったね、と毎年変わらないような感想を言って新年を迎えることになります

若い時はひねくれて、こういうパターンが嫌いだったこともありますが、特に深刻な事態を迎えている訳でもなく

戒厳令の夜でもなければ、馬鹿みたいな年末年始を迎えるのがふさわしいとして受け入れるようになったのは

いつの頃からだったでしょう

風吹かば即ち倒る、とは誰が言ったか忘れましたが、風が吹いていなければ頑張るかどうか考える必要すら

ないのです

温暖な天気の日には、それにふさわしい暮らし方があるというものでしょう

でもいろいろ言って自分を納得させても、どうして恥ずかしいのでしょう

難しいことを言っていてもウンチしているところを見られたら恥ずかしい、というのは排便時は無防備だから

見つからないようにするために恥ずかしいという感情が生まれた、という生き物としての基本的な長くDNAに

受け継がれた必然性ということを信じるとすれば、この平和な年越しというのは、なぜ恥ずかしいということに

なるのでしょうか

やはり種を外敵から守るという男性の仕事を怠っているということへの恥ずかしさかもしれませんね

そういえばたまに、俺は男だぞ、馬鹿やろうって、叫びたくなったりしますよね

来年も、よろしくお願いいたします