こまくさ草子 〜院長ブログ〜

2013年 4月10日

桜に続いてがんばっていた白い山桜も、このところの強風ですっかり散ってしまいました。

白い花が散ってしまったといえば、サッチャーさんが死んでしまいましたね。

サッチャーさんは、最近のこのブログのテーマになっている勇気という言葉にもっともふさわしい人でしょう。

ゴルバチョフとレーガンを引き合わせて、あのベルリンの壁を崩壊させ歴史を変えた人、サッチャー。

医療制度などはズタズタにしながらも、労働組合と戦って国家の改革を優先させ英国を

ゆりかごから墓場までの長い眠りから覚まさせた人、サッチャー。

敢然とフォークランドに兵士を送り戦争開始のスイッチを押した人、サッチャー。

ヨーロッパからの孤立を恐れずEC、EU路線からはずれ英国を独自の道に導いた人、サッチャー。

まあ、どれをとっても勇気がなければ出来ません。

正しいかどうかは歴史の証明を待つしかありませんが、、

そのせいで反対勢力も大きかったことは容易に想像できます。

亡くなっても、世界葬をやってもいいような人なのに、国葬ではなく国民葬ということです。

やはりどこの国でも勇気ある人は冷遇されるもののようです。



2013年4月23日

サッチャーさんと言えばスーチーさんである。

アウンサンスーチーさんが来日して、このところマスコミの話題に上っている。

日本は軍事独裁体制が名づけたミャンマーという名前でいちはやくビルマのことを呼ぶようになったし

欧米のやったビルマの軍事独裁体制に対する経済制裁にも参加せず金儲けを優先した日本は

軍事独裁体制に加担したと言われても仕方がない国だ。

それでもスーチーさんは日本贔屓である。

若い時に日本にいたということもあるのかもしれないが、あの辺りの地域と日本の関係にはもっと他の要素も

あるようだ。

戦前、インドシナ半島はオランダ、フランスの植民地だった。

彼らは現地の人を奴隷のように扱い、決して自分たちの文化の中に入れようとはしなかった。

それが日本軍が侵攻しオランダ、フランス軍を破って占領したら、自分たちと平気で一緒に酒を飲み話をし

同じ人間同士として付き合ってくれる日本人にとても感動したようだ。

それが当時の日本人の高い徳性を表しているのか、ただ民族的に近いので違和感がなかっただけなのか

理由はわからないが、いまだにあの辺りに行くと現地の人は日本人が好きだということは肌で感じることが

できる。

スーチーさんも軍事独裁体制によって世界最貧国のひとつになってしまったビルマを

今後どこまで再建できるか、いよいよ表舞台に出て真価が問われる時代を迎えそうだ。