こまくさ草子 〜院長ブログ〜

2013年2月15日

新年を迎えたと思ったらはや2月、バレンタイデーすら過ぎてしまいました。

月日の過ぎる速さに驚くのは、生活に変化のない証明みたいで恥ずかしいですが

いつの間にかそんな単調な生活をしていたのでしょう。

魂が熱くならなければ恥ずかしいだけ、、などと歌っていた歌の文句も遠い過去のことになってしまいました。

今や球春、プロ野球キャンプの真っ最中です。

以前、2月に沖縄に行った時に機会があって、当時新庄選手、小笠原選手らのいた日ハムのキャンプを

見に行ったことがありました。

思いのほか選手との距離が近く、新庄選手などは我々観客と話しながら練習していました。

小笠原選手はちょっととっつきにくい感じでしたが、、

近くの公園には赤みの強い桜の花が咲いていて、海がきれいだったことが印象的でした。

キャンプは何となくのんびりした感があり、悪く言えばダラダラと練習をやっている感じでした。

よく考えれば当たり前のことで、高校野球みたいに大声上げて、意味なく走っていても仕方がないですよね。

真剣に野球を上手くなろうとしている人たちは、案外ダラダラやっているようにしか見えなかったりするのかも

しれませんね。

意味もなく走らせたりキビキビしろなんてことは、ましてや髪型などは野球とは関係ないことですもんね。

高校野球に代表される学校教育スポーツは、どう見えるかを問題にしすぎているのかもしれません。

高校生がキビキビ動いて喜んでいるのは爺さん達だけなのかもしれませんね。

別に無理にキビキビ見せなくても、野球というスポーツを真剣にやることで教育になればいいのでしょう。

周りからどう見えるかを気にするあまり、成績至上主義、そして体罰が生まれてくるのかもしれませんね。



2月19日

今日は寒い雨、雪になるかもという予報が出ています。

東京都知事の猪瀬直樹さんがツイッターで、気象庁が成人の日の大雪をはずしたことで、自己保身のために

その後の積雪量の予報を多めに見積もったと指摘して話題になっています。

私が社会のいろいろな場面で感じることは、勇気のある人は案外少ないものだということです。

私が中学校の時、卒業アルバムのクラスごとの集合写真を撮る際に人文字で死という字を描いていた

クラスがありました。担任の先生は社会の先生でいつも死を見つめて生きようなどと言っていました。

父兄には評判の悪い先生でしたが、私は何となく凄みのある先生で好きだったことを憶えています。

いつもいずれ死ぬんだということを忘れずにいて、そこから逆算して今を生きていれば、勇気が持てるはずだ

ということが、その先生は言いたかったのではないかと思います。

どうせ死ぬんだから、何も恐れるものなどないじゃないか、と。

誰しも責任のある立場になった時に、どうせ失敗したって大したことじゃない、最悪でも死ぬだけだ、

今まで生きてこれただけでもラッキーじゃないか、と思えるかどうかで、勇気のある決断が出来るか

気象庁のように保身に走ったり、玉虫色のことしか言えなかったりするかが決まるように思います。

いつか死ぬんだ、人生なんて大した事なんて起きないんだ、という悲しくも勇気を持てる事実を忘れないように

生きて行きたいものです。